あらすじ
ひとりの若者が、黒いベレー帽に黒っぽい細身のスーツ姿で、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)からパリへ向かう飛行機の中にいる。
時は1961年。ルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)はまだ伝説のダンサーではなかった。世界に名だたるキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の一員として、海外公演のために彼は生まれて初めて祖国ソ連を出た。
若きヌレエフはパリの生活に魅せられ、この魅惑の街で得られる文化、芸術、音楽のすべてを貪欲に吸収しようとしていた。だが、その一挙一動はKGBの職員に監視されていた。やがてフランス人女性クララ・サン(アデル・エグザルホプロス)と親密になるが、その一連の行動により、政府からの疑惑の目はますます強まる。それは、収容所に連行され、踊りを続けることすらままならない未来を暗示するものだった。
1961年6月16日パリ、ル・ブルジェ空港。他の団員たちがロンドンへ旅立ち、KGBと共に空港に残されたヌレエフがくだした決断とは。
配給 ©キノフィルムズ/木下グループ
あらすじ ©cinefilm
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ホワイト・クロウ「はぐれ者」
ホワイト・クロウとは直訳すると「白いカラス」。転じて「はぐれもの」「傑出した才能を持つ者」を意味します。
本作は俳優としても高い評価を得ているレイフ・ファインズ監督(以下、監督)が、ヌレエフの伝記を読み、以来20年の構想を経て映画化しました。
共産主義化にある50年代のソ連、貧しい家庭にあり、シベリア鉄道の中で生まれたヌレエフ。バレエ・アカデミーへの入学は、平均より遅かったと言います。
そんな貧しい少年時代、レニングラードでの修行時代、パリ公演中での亡命劇という3つの時代のみにスポットを当て、自由を希求する強いキャラクターを再現しました。
ヌレエフはあまりにも偉大なダンサーで、西側に渡ってからの華々しい活躍を描きたくなりそうなもの。けれど監督は「傑出した才能のある若者が、何者かになろうとする」半生のみを描くことに腐心したと言います。
ヌレエフの人生
ヌレエフはダンサーとして完璧を目指すあまり、なかなか激しい性格だったようで、たくさんの人々を怒らせてきたことでも有名です。監督は
「東西冷戦でイデオロギーが対立していた時代、ソ連の支配下にあったヌレエフが一個人としての自由を求めたのは稀有なこと」
と言います。出来事自体はなるべく実際にあったことに即し、存命の当時の関係者にも綿密な取材を行ったようです。とは言え当時の関係者の記憶も「少しずつ違って」おり、セリフ自体は脚本家の作家性に任せたと言います。
実際に映画を見ると、社会主義下であるにも関わらず、ヌレエフの傲慢な物言いと振る舞いには、少々驚きを禁じえません。3つの時間軸が入り組む複雑な構成は決してわかりやすいとは言えず、敢えて観客の混乱を招き、それこそがヌレエフの精神性だったと訴えているかのようです。
亡命後は英国ロイヤル・バレエ団に所属し、長年プリンシパルを務めた後、いくつかの経歴を経てパリ・オペラ座の芸術監督に就任します。ヌレエフはダンサーとして自己に厳しい人でもありましたが、芸術監督として後進の指導にも熱心でした。
前回のコラムSWANでも触れましたが、今後の見込みのないダンサーには早々に引導を渡すことでも有名だったようです。ところが、そのうちの何名かはパリ・オペラ座に講師として戻ってきており、以下のように話しています。
「もっと早く将来の可能性がないことがわかっていれば、体が強かったから体操か何かで身を立てられたかも。私に女性ダンサーとしては『君は僕よりも背が高い』と(率直に)言ってくれたのはヌレエフだけだった」
身を引くように伝えるのは一見すると非情なことですが、それは、自身がダンサーであったからこその優しさだったと、後年、何人かの講師が振り返っています(「未来のエトワールたちパリ・オペラ座バレエ学校の一年間」、ヌレエフの伝記などより)。
芸術監督に就任後は、ウィリアム・フォーサイスなどの現代バレエを積極的に取り入れました。ヌレエフが西側に亡命していなければ、現在のバレエは全く違っていたものになったでしょう。
彼はただ自由になりたかった
興行的には名の知れた俳優を使うのが望ましいものですが、監督はダンスシーンで代役を立てることを懸念し、バレエダンサーの中から演技力のある人をキャスティングしました。読者のみなさんの中には、ダンスを題材にした映像で、
「あ、この俳優さん、絶対ダンスやったことない……」
と思い当たってしまった経験のある方は多いはず!ダンスを少し見る目のある人であれば、立っているだけで、手を出すだけで、その人に素養があるかどうかはわかってしまいます。そういう意味で、今回の監督のキャステイングは、筆者としては拍手喝采でした。
主役のオレグ・イヴェンコは1996年ウクライナ出身。カザンのタタール国立オペラ劇場で活躍するダンサーです。監督がロシアで大オーディションを行ったところ、
「陳腐な言葉ではありますが、スクリーンに愛されている人」
と評され選ばれました。特にパリでの舞台シーンはカットを割らず、その舞踊シーンで、存分にヌレエフのダンサーとしての魅力を伝えてくれます。
主役以外にも、ヌレエフの親友役としてセルゲイ・ポルーニンが登場するなど、バレエファンにはたまらないキャスティングとなっています。ポルーニンは「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」にて、その半生がドキュメンタリー化されています。
そんなキャストたちが実際に舞うことで伝えてくるのは、ヌレエフの自由への強い憧れです。
「彼はただ自由になりたかった」
ヌレエフは技術を磨き続けた果てに、物語を紡ぐことこそがダンスだという信念を抱くようになります。
「ダンスに必要なのは物語だ。『私は一体何を語りたいのか?』誰も自分にそれを問わない。人々はジャンプやテクニックの練習に時間をかけるが、そこには物語がない」
汽車の中で生まれたヌレエフは、ある意味故郷を持ちません。規則や技術などの制約の上に成り立つバレエに徐々に反発を強め、それはソ連の社会主義体制そのものへの反骨精神へとつながっていきます。
ラスト20分の亡命シーンは、まさに圧巻です。亡命とは、ただ国から国へと渡ることではない。故郷を捨て、そこに暮らす家族を捨て、友人を捨て、生活の全てを捨てる覚悟を持って人生をやり直すこと。ヌレエフはかつて自分が傷つけたクララなどの助けを得て、西側への脱出をはかりますが……その結末は?
実在の人物なので結末はある意味わかっているものの、それでも手に汗握って見入ってしまうシーンです。
そんなダンサーが若い時代にアーティストとして、人間として自己実現していく、飢えるような欲求を描いた本作。ダンスに希求するものがある方なら見るべき作品です。
2019年5月9日日本公開となった本作、コラム掲載時点でまだ公開中です。