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コラムダンシング・ハバナ

第10話ダンシング・ハバナ

2019/05/5

あらすじ




1958年、父親とともにキューバへやってきた18歳のケイティ(ロモーラ・ガライ)は、ハビエル(ディエゴ・ルナ)という青年と知り合う。彼の夢は家族とアメリカへ移住することであり、その夢を叶えるため、ケイティとハビエルはダンス大会優勝を目指す。

配給・画像 ©︎ミラマックス/ギャガ
あらすじ ©︎シネマトゥデイ

 

原題はDirty Dancing: Havana Nights


前回紹介した「ダーティー・ダンシング」を下敷きにした映画、「ダンシング・ハバナ」のご紹介です。

筋立てはダーティー・ダンシングそっくりですが、舞台をハバナに移し、ダンスのジャンルはサルサなどのラテンダンスをテーマにしています。

元祖ダーティー・ダンシングで主演のパトリック・スウェイジも、ダンスの先生として出演しています。出番は少ないのですが、ケイティにダンスコンテストへの出場を促すキーマンという重要な役どころです。ケイティの手を取って軽く練習するシーンでは、あのダーティー・ダンシングに出てくるステップも登場します。渋くなったスウェイジもなかなか眼福。ケイティたちのダンスを見守る眼差しはベテラン俳優らしく温かみがあって、名バイプレーヤーを務めています。

今作でスウェイジの役どころであるハビエルを演じるディエゴ・ルナは子役で俳優デビューし、「夜になる前に」や「天国の口、終りの楽園」で映画出演していました。ダンシング・ハバナでは、ケイティが現地で滞在するホテルでウェイターをする、大人っぽいルナにまずはドキッとさせられます。

ケイティは、同じ米国人のボーイフレンドに誘われて、キューバ市井のサルサバーにやってきます。そこにいたのが、ホテルの従業員であるハビエルでした。

ケイティはホテルでハビエルとふとした瞬間にぶつかってしまい、グラスを割るという失敗をさせてしまった彼のことが気になっていました。当時、客であるアメリカ人と従業員であるキューバ人の間には格差や差別が厳然と存在していました。ぶつかった非は客である自分にあるのに、ただは彼が従業員というだけで、ハビエルの失点になってしまうのです。

そんなケイティが街中で道に迷って困っているのを見かけて、ホテルまで送り届けたり、何くれとなく気にかけたり、ハビエルは純朴で優しい眼差しで見つめています。そんな彼とサルサバーで出会って、ケイティはフロアに誘われます。ここでボーイフレンドを邪魔するハビエルのお兄さんたちも、なかなかいいお邪魔虫ぶりです(笑)。

それまで素朴な空気を醸し出していたハビエルが踊り出したのは、情熱的なサルサ。社交ダンスの素養はあるものの、体をぴったりと密着させたラテンダンスは、初めてのケイティには刺激的なものでした。同じアメリカ人のお行儀のいい彼氏なんか、そっちのけになってしまうのも分かるというものです(笑)。スウェイジとのダンスもクールでダーティー(かっこいいというようなニュアンスですよ。汚いではない笑)でしたが、ハビエルとのダンスはサルサらしく、より濃厚で官能的です。

子役の頃から俳優さんですし、元々ダンスの素養もあったんだろうなーと思っていたら、なんと1日8時間のレッスンを2ヶ月半も頑張ったのだとか!

 

キューバ革命の悲運


前回のダーティー・ダンシングのコラムでアメリカの階級社会について言及しましたが、ダンシング・ハバナでは舞台がキューバでありますから、当然にその社会的背景が色濃く影響しています。その影響も、キューバ革命というよりクリティカルなものです。当時のハバナの様子が綿密に再現されており、また昔の映画であるためか、ロケが敢行されたと思っている方も多いのですが、もちろん、映画撮影当時のハバナでロケができるはずがありません。

ケイティ一家は父親の仕事のために1958年にハバナにやってきました。当時のキューバはバティスタ将軍の独裁下にあり、アメリカとは癒着関係にありました。観光資源目当てにアメリカ資本の会社が多数進出しており、ケイティの父親もそのような仕事の一環で赴任してきたものと思います。現地での生活は、一昔前のいわゆる外交赴任のような優雅な生活で、住まいはホテル、メイドや運転手もつくという贅沢な生活水準です。

そのような暮らしは、当然、現地のキューバ人からは反感を買い、そもそもバティスタ政権への批判や革命運動が巻き起こっていました。運転手がついているのも、現地のアメリカ人の安全を守るという側面もあったわけです。

ダンシング・ハバナでは、街中で歌ったり踊ったりするキューバ人を取り締まる動きが出てきますが、ダーティー・ダンシングに比べるとその格差の構造がはっきりと映画の設定として生かされていることがわかります。本来は、ハビエルとケイティは口をきいては行けないし、客と従業員として個人的に接触してはいけない間柄なのです。

父親が革命軍に参加していたとして処刑されてしまったハビエル一家は、政権から睨まれている状態だったのでしょう。やはり革命に参加しているハビエルの兄にとってみれば、近々逮捕される危険性もありました。そんな中でアメリカに移住するために、ハビエルは一家の運命を背負ってダンスコンテストに参加したのです。

 

ダンスは抑圧からの解放・自由への欲求


よりにもよってその大事なダンスコンテストの夜、ハビエルの兄が政府軍要人の暗殺未遂を起こします。また時を同じくして、バティスタ将軍の亡命のニュースが入り、それまでのキューバとは状況が180度変わります。

バティスタ政権下で優遇されていたケイティの父親たちアメリカ企業は、キューバから出て行かざるを得なくなったでしょう。一刻も早く本国へ帰らなければ、今度は危険に晒されるのはケイティたち。

一方で、革命軍に参加していたハビエルたちは、あれほど願っていたアメリカ移住の必要性はなくなりました。カストロ政権がそれまでの政権に取って代わり、逆に革命派のハビエル一家にとっては住みやすい国に変わったことは容易に推測ができます。

愛するハビエルのためにコンテストに参加し、優勝を願って練習していたケイティの努力は、全てが儚く消えてしまいました。

それでも、その生活や暮らしを変えようとするためのダンスには、2人の必死の熱量が感じられます。ダーティー・ダンシングと同じく、徐々にコミュニケーションをとり、息のあったダンスに進化していく様子は、すべてのジャンルを超えたダンサーが共感できる空気が流れています。

そもそも、ダンスは自分の欲求や抑圧を解放する手段として用いられてきました。そんなダンスの根源的な意味を感じられる作品です。