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コラム生誕100年ピアソラの世界

第44話生誕100年ピアソラの世界

2021/07/25


タンゴに革命をもたらしたアストル・ピアソラが今年で生誕100年を迎えました。N H Kで「生誕100年ピアソラの世界」という記念特集が放映されています。

番組概要


アルゼンチン・タンゴの巨匠ピアソラ生誕100年大特集
▽リベルタンゴだけじゃない名曲の数々とその魅力をバンドネオンの小松亮太とチャラン・ポ・ランタンの小春が熱弁!
▽ピアソラ本人演奏のお宝映像~リベルタンゴ、アディオス・ノニーノ
▽衝撃!これが本物のタンゴ~ロカ:フアン・ダリエンソ楽団
▽小松亮太率いるオルケスタが番組のために熱演!
▽ピアソラ苦悩の人生をたどる豪華メドレー「長い夜~来るべきもの~92丁目通り~リベルタンゴ」
▽日本初演!アンドレア・バッティストーニ指揮×東京フィルによる「シンフォニア・ブエノスアイレス」
▽これを見ればピアソラまるわかり!永久保存版!!
© N H K



ピアソラのタンゴは踊るための音楽ではなかった!?


社交ダンスを踊る方なら、誰でも一度は「リベルタンゴ」を聞いたことがあるはずです。タンゴのデモンストレーションで使われることが多く、定番にしているトッププロもちらほら。リズムやテンポをアレンジして、ラテンで使われることも少なくありません。そんな社交ダンスのデモンストレーションを見たら、ピアソラ本人はもしかして怒り狂うかもしれません(笑)。

ブエノスアイレス・ニューヨーク・パリ……世界中を流浪しながら各国の音楽のエッセンスを貪欲に取り入れ、新たに作り出したピアソラのタンゴは「タンゴではない」とタンゴ純粋主義者たちから痛烈に批判され続けました。30代ではタンゴをベースにしたシンフォニー、50代ではロックバンドを作るなど、年齢を追うごとに彼の創作魂は老いることを知らず、むしろますます熱量を増し、タンゴに革命をもたらした異端児として知られています。

ピアソラが明確に成功したと言える出来事の一つは、テアトル・コロン(コロン劇場)で演奏が認められたことではないかと思います。コロン劇場とはブエノスアイレスにあるオペラ劇場で、ここでの演奏は一流として認められたことを意味します。数々の批判に心折れることなく「いつか祖国に再び殴り込む」という彼の言葉が実現したのは、なんと62歳の時です!

このようになかなかの苦労人だったピアソラですが、そもそも彼はタンゴを踊るための音楽ではなく聴くための音楽として成立させようと試みました。とあるインタビューでピアソラは、
「(俺が演奏していると)やたらと踊りたがる客がいる」
と憤慨を述べているくらいです。ただ「ピアソラが、それまで踊りの“伴奏”だったタンゴを、“主奏”に変えた」というのはまったくの誤解で有名な日本人バンドネオン奏者、小松亮太さんは、
「ピアソラは第2次革命家なんです。第1次革命をしたフリオ・デ・カロを中心とした人たちがいて、彼らはタンゴを踊りの伴奏じゃなくて、ちゃんと座って聴ける音楽にしようよということを、ピアソラの親世代の一派がすでにやっている」
と述べています。
©︎『タンゴの真実』(2021年旬報社刊)上梓インタビュー

ピアソラがニューヨークに住んでいた小学生の時には、既にブエノスアイレスでタンゴ革命が起きていました。ピアソラはその精神を踏襲する形で自身の音楽を形成していきます。その後作り出した旋律はピアソラ独特のものですが、彼の音楽の精神は彼だけで出来上がったものではないということになります。ピアソラは「自分が作ったタンゴ以外はタンゴではない」などと苛烈に言い放って、それ以前のタンゴ界に喧嘩を売りました。けれどピアソラの音楽をきちんと知るためには、それがピアソラの敵であったとしても、ピアソラ以前のタンゴをきちんと知る必要があると思います。

ところで前段で紹介したN H Kの番組で「シンフォニア・ブエノスアイレス」が日本で初めて演奏されました。タンゴをベースにピアソラが作曲したシンフォニーを、東京フィルハーモニーが演奏します。指揮をしたのは、アンドレア・バッティストーニというヴェローナ出身の指揮者です。彼の指揮する姿を見ていると、やっぱりピアソラの音楽は踊りたくなるよな〜と思わせられてしまいます。だって指揮台の上で、バッティストーニがめっちゃ踊ってますもん。私の中で踊る指揮者は佐渡裕さんがだったのですが、バッティストーニもなかなかです。ピアソラには申し訳ないですが、聴くための音楽と踊りたくなる音楽はどう考えても矛盾しないと思います。8月から11月にかけて東京フィルハーモニーと演奏するようなので、聞きに行こうかな。

また12月には「ピアソラ・永遠のリベルタンゴ」の上映が予定されています。そちらの話も上映されてからまた!