1. あらすじ
平凡な中学生、富士田多々良が社交ダンスの世界と出会い、徐々にその才能を開花させてゆく唯一無二のダンススポーツ青春譚。
無気力に日々を過ごしていた多々良は、カツアゲに遭ったところをプロダンサー・仙石要に助けられたことで、偶然にも社交ダンスと出会う。仙谷は、日本で唯一世界の舞台で戦うことができるダンサー。彼と出会ったことで多々良は社交ダンスに目覚め、その後も仙谷は要所要所で多々良にインスピレーションを与える存在となる。
仙石の指導下に入った多々良は、同級生の花岡雫と兵藤清春カップルに出会う。彼らはアマチュアランキング一位のダンサーであり、将来はプロになるべく将来を嘱望されていた。その凄まじいダンスを見せられたことで、社交ダンスの世界にますます引き込まれる多々良。三笠宮杯におけるハプニング見舞われ、清春の替え玉として雫と踊ることになってしまうが──。
(©講談社)
2. 組みたいのに組めないジレンマ
ボールルームへようこそ(以下、ボルルム)の作者、竹内友さんは武蔵野美術大学の競技ダンス部出身です。社交ダンスにおける、ダンスそのものに対しても、日本の社交ダンス界の現状に対しても、大変造形の深い方です。
ボルルムには、魅力的な女子たちが登場します。殊に花岡雫は多々良の憧れであり、作品の中のミューズと言える存在です。ところが、ボルルムでは主人公の多々良、そして他の誰1人としてカップル同士が恋に落ちることはなく、競技ダンスという場でアスリートたちが戦う姿を描くことに注力されているようです。
ボルルムで最強のカップルである清春と雫にも甘い雰囲気が漂うことはなく、むしろ雫の方は清春を尊敬できるリーダーであると共に、ライバルだと思っています。清春の闘争心に図らずも火をつけた多々良に嫉妬心を抱くほどの負けん気を発揮し、自分のダンスと真剣に向き合う雫の様子には、ヒリヒリするような緊迫感すら感じられるほどです。
現在9巻まで刊行されているコミックスの前半のハイライトは、何と言っても天平杯です。非公式ながらも競技会に出場することで、多々良は初めて自らの競技者としての至らなさを突きつけられます。
ここで重要な人物として登場するのが赤城兄妹です。彼らが登場することで、日本の社交ダンス界における現状がまざまざと読者に突きつけられるのです。
その一つが、女性が多く男女比がいびつであること。もう一つは、子供の頃からの長いキャリアを持つカップルが競技の世界ではどうしても優勢になりがちであるということです。
まずは、前者の方を詳しく見て見ましょう。
多くのジュブナイル・ジュニアの大会を見ればわかるように、男女比は女性の方が多くなる傾向にあります。
参考までに2018年日本インターナショナルダンス選手権大会を例に、出場選手の男女比割合をご覧ください。
(単位:組・名前による推定)
これを多いと見るか少ないと見るかは見解の分かれるところですが、少なくとも男女のカップルを組めない女子が一定数存在すると言うことになります。また競技会に出場するカップルはある程度淘汰されているでしょうから、潜在的にはさらに女子同士でもカップルを組めないケースも散見されるのが現状です。このことは物語の後半で登場する多々良のパートナー、千夏の状況を描くための伏線ともなっています。
さて、天平杯の戦いから登場する赤城賀寿と真子兄妹も、身長差や技量などの問題を抱えつつも、一番身近にいる異性である兄妹で組まざるを得なかったカップルです。
実際、上の表に見られる通り、一番身近な異性である兄妹・姉妹で組むカップルも多く、何と言っても現在の社交ダンス界で最も活躍した姉弟カップルといえば、先日引退した瀬古薫希・知愛組でしょう。
2019年2月24日アジアオープンダンス選手権において現役引退
もっとも大人になるにつれて、別のパートナーやリーダーと組み直すカップルも少なくありません。
3. 「ダンスにキャリアは関係ないよ」花岡雫
三笠宮杯での多々良が絡んだ替え玉騒動により清春は謹慎になり、またケガのことを雫に隠していたせいで、雫の気持ちが清春から一時的に離れてしまいます。子どもの頃から長年雫に憧れていた賀寿は、その隙をついて雫にカップル結成を持ちかけます。兄に捨てられた形となる真子は、多々良とカップルを結成し、二組が対決することになります。
この対決で提示される問題が、多々良にとっては社交ダンスに取り組む限り、永遠の課題となるのです。それは「ある程度の年齢になってから社交ダンスを始めたカップルは、子どもの頃からキャリアを持っている選手に勝てるのか」という問題です。
賀寿と雫はカップル初戦であっても、ジュブナイルの頃から長年社交ダンスのキャリアを積んでいます。真子もまた、賀寿に劣ると言われているとはいえジュブナイル出身です。ダンスを始めてほやほやの多々良に釣り合うはずがありません。それでも真子と組んだ多々良は「パートナーは花、リーダーは額縁」という役割に徹したことで、何かの境地を掴みます。
今まで「兄の陰に隠れたパートナー」「お散歩カップル」などと呼ばれた真子もまた、自らに花になろうとすることで、多々良と踊り終わった時に新たな自分に目覚めます。
この時できる精一杯の踊りで戦い抜いた多々良と真子。読者は否が応でも、もしかしたら2人が賀寿と雫に勝てるのかもしれないと胸を躍らせたはずです。
結果の詳細はコミックス、またはアニメを見ていただくとして──。
「一瞬でも勝てるんじゃないかと思っちゃいました」
と泣く多々良に、仙谷は
「胸を張ってフロアに出て行け」
と背中を押して表彰式に送り出すのです。
皆さんは「学連ショック」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
始めてほんの数年のはずの学生が、学連の競技会を見に行くとみんな立派に踊っていて、長年踊ってきた自分は一体なんなんだろうかと落ち込むことを指す言葉です。
または社会人から社交ダンスに取り組んだカップルが、長い年月をかけて持ち級戦に挑む側から、学連やジュニアの選手が上がって来る……そして、そんなポッと出のカップルに昇級をかっさらわれてしまう。そんな状況に、悔しい思いをしたことがある方もいることでしょう。
そんな多々良に「社交ダンスはキャリアじゃないよ」と言うのは多々良のミューズである雫です。本当にそうでしょうか?
多々良が雫の言葉通り、自分のダンスを見出し、彼らと互角に戦うことができるのか──。自分の身に引き寄せて、先の展開から目が離せなくなってしまうに違いありません。
高校生になった多々良は新しいパートナー「緋山千夏」と出会うのですが、ここでも日本の社交ダンス界の現状がしっかりと反映されています。
千夏もまたジュブナイル出身で、雫や清春、赤城兄妹とは違い、リーダーと組むことができずに高校生になってしまった女の子です。一時期はダンスから離れていますが、それでもシューズを捨てられないくらいダンスが好きで好きで仕方がないのに、フォロー経験がないと言うなんとも重たい枷を背負って多々良の前に現れます。
ここからは一歩進み、多々良は千夏と正式なカップルとなり、経験も、感性も音感も何もかもが違う相手とパートナーシップを築き上げていく難しさに直面していきます。
一説には、社交ダンスのペアは結婚相手より難しいなどとも言われます。ペアダンスだからこそ、違う人間同士が二人で組むからこそ表現できる境地。それは多々良には「4本足の生き物になる」と言うような感覚となって徐々に顕現していきます。
ですが、そうは簡単に一足飛びにうまくいかせてくれません。
どんなに踊りが合っていても性格が合わないとカップル解消という危機を常に秘めているのは、社交ダンスならでは。そしてカップルを解消しては、私たちは競技の場に立つことすらできないのです。少しずつ喧嘩が議論になり、建設的な言い合いになりつつも、行きつ戻りつするもどかしい二人に、私たちはついつい自分たちの姿を重ねて見てしまいます。
実は、このアニメ化されたボールルームへようこそによって社交ダンスの世界に触れたたことをきっかけに、社交ダンスを始めた愛好家の皆さんも多いのです。それほど影響の大きなこの作品。次回のコラムでは、そういった方々に、実際にこの「ボールルムーへようこそ」に対する生の声を聞いて見ました。
ぜひ、お楽しみに。
「題字イラスト/月城マリ」