2019/07/20
さて、レッスンで「ルノワールの柔らかいタッチのように」とか「レンブラントの強いコントラストのように」とか言われた時、僕はピンとくるけども、隣にいる法子はポカンです。これは僕が美大生だったからピンとするけども美術全般に造詣のない法子にはナンノコッチャわかりません。
ある生徒さんに「ほら、信号が赤になったら渡りませんよね?」と言ったら「え、車が来なければ渡っちゃうけど」と返ってきた。関西出身かと聞いたら東京育ちだった。「普通こうでしょ?」という『普通』はみんな違う。
僕はある時期法子に、常識的に考えろよとか、100人に聞いたら100人こう答えるぜとか、そういう無駄な言葉を発していました。いつも哀れな本池君。私達ボールルームダンスのカップルに必要なのは、このたった二人の中での共通言語がしっかりしていることではないか。そうして困った男は一般の方々がどのようにこの由々しき問題に対応しているかヤフーを開きました。
『ある一つのことに対してそれを言葉にしようとする時、育った環境やモノの価値観によって表現される言葉が異なる』
……うん、知ってる。形状を認識したい人はリンゴは丸いと言うし、色を認識したい人はリンゴは赤いというやつです。俺パー第7回で「逆もまた真なり」という内容に触れましたが、それはこの派生です。
例えば、必死になって「リンゴは丸いじゃん!」と言っても、リンゴ は赤いものだと思っている相手には丸いことなんてどうでも良くて、立て板に水なわけ。その時に相手が丸だと認識できるものを探すよりも先に、こんなこともわからないのかと相手への非難を始めてしまうことで、無駄タイムがスタートしてしまうのです。無駄タイムが1時間過ぎたあたりで「ボールの丸さだよ」と伝えたところ「最初からそう言ってよ」と言われて大きく肩を落とす。そういうことを何度したでしょう。
こうして学んだことは『正しい言葉で伝えれば必ず伝わるはず』という 『間違い』に早く気付くこと。学校でよく勉強した人ほどこっち側に来やすいです。どこの筋肉をどういう流れでとか言うより、にゅるっとここらへんをこうして、って伝えたほうが良い相手というのは存在するのです。
「1の終わりでライズ始まるじゃん!」と言うより、「2 の前にライズ始まってなきゃじゃん!」と言った方が良い相手が存在するのです。教科書という一般常識らしきものは ただの物差しです。自分の勉強したことを見せびらかすことをやめて、素直に伝わる言葉を選びましょう。
また、聞く側になった時、相手が何を言ったか言葉を解釈するのではなく、どういう意味でその言葉を発したかを考える癖をつければ、不要な口喧嘩が減るでしょう。先生から「次は頑張れよ」と言われた時に、「よぉし、期待されてるぜ!」と奮起する人、「あぁ、全然足りてないんだ……」とガッカリする人、大きく分けて2種類います。
前に進める人というのは良きにせよ悪しきにせよ、その言葉の真意に関係無く自分のいいように解釈してしまえる力を持っています。
せめて語彙を増やす努力から