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コラム「顔色」

第9話「顔色」

2019/03/20

踊っては立ち止まり、踊っては立ち止まり、すれ違う2人の気持ちは二ヶ月の間ロンドンの空のように薄暗く曇りがかっていた。1週間後には後楽園ホールで大事なコンペがあるというのに、なんでこんなことになってしまったのだ。

毎月駅前の書店でダンスファンを取置きしてもらってるこの夫婦は「俺パー」を楽しみに読んでいる。特に夫にとって、俺パーに出てくる喧嘩ばかりしているカップルをせせら笑うことは小さな快楽のひとつであった。喧嘩をするカップルはなんて愚かなのだ、私達はそんな無駄な時間の浪費は絶対しない。喧嘩をするくらいなら踊り込みを続けるさ。しかしこの日に買ったダンスファンで事件が起こった。

俺パー第6話に我々夫婦が悪いカップルの例として祭り上げられていた。Bさんの真面目に練習しながら結果が出ない、4年以上同じルーティンの、2時間きっかりで練習場を出る小柄なカップル。どう考えても私達のことだ。お喋りばかりのAさんというのもあいつのことだ。イラストが似過ぎている。それにしたって「ノスタル爺」そんなあだ名が付けられていようとは……「爺」ってなんだ、僕は40歳だ!

その晩、夫婦会議が始まった。どういう経緯で私達のことが取り上げられたのか皆目見当がつかないけどあなた、本池先生に文句を言ってもしょうがないの。たしなめる奥さんは年上らしく、このカップルの落ち着きは常に奥さんの手によって収められている。その彼女が珍しく、堰を切ったように話し始めた。



いい?あたしだってもうこのままはイヤよ。いいじゃない。何が悪いかタダで指摘してもらえたんだから。もういい加減あたしが踊りやすいかどうかなんて考えるの止めて。あたしの顔色をうかがうのもいらない。あたしは何事にもひたむきなあなたの姿に惚れたの。せっかくレッスンで習ったことをドブに捨てるのももう止めて。あたしを引っ張って踊って!

夫は妻の激しい剣幕に只々唖然とした。ビールの泡はすっかり無くなっていた。それから10 分の沈黙の後小さく息を吐き、そしてコクンと頷いた。妻は優しく微笑んで、新しいグラスに冷えたビールを注いだ。

この日を境に練習方法をガラリと変えてから、時間と共に喧嘩の回数が増えていった。踊りにくいままやり通すということはなんと苦痛を伴うのだろう。しかし妻は私に妥協を許さなくなった。流して踊ろうとすると足を止めて「もう一回」と呟く。頭に二本の角が見えるようになってきた。練習時間が2時間では足りなくなった。

妻はレッスンで習ったことをちゃんとできるようになってから次のレッスンに行くと決めた。すると先生は今まで教えてくれなかったことをちゃんと教えてくれるようになった。なんだ、勿体ぶってやがったなと妻に漏らしたら、何故か怒られた。

そして夫婦間の空気も最悪なまま大事なコンペに出た。後楽園で初めて表彰状をもらった。

その笑顔が見られて嬉しいわ、あなた。

俺パー的教訓其の九

苦痛から逃れてはいけないわ、あなた。