2019/05/20
乗馬を嗜む生徒さんが、よく乗馬とダンスの共通点についてお話してくれます。私も少し前に愛媛の友人に乗馬を体験させていただきましたが、姿勢やリズム、腰の使い方など、ははーん、なるほど、と思うところが多々ありました。
その生徒さん曰く、馬は人間の乗馬の技術を本能的に嗅ぎとっていると。上手い人が乗れば従順に動いてくれるけれども、よほど訓練された馬でない限り下手な人間が乗ると言うことを聞いてくれないようです。
ここでまた、ははーんと本池君。身の回りに思い当たる節がありすぎて泣けてきました。1番最初に思い浮かんだのはもちろんマイパートナー法子嬢ですが、その次に思い浮かんだのはジャネット・グリーブ先生です。レッスンで何度その状況になったかわかりません。
ジャネット先生と組む前には、まずその立ち方じゃあたしは入っていけないと注意されます。あちゃらこちゃらいじってもらい、さぁボディコンタクトできましたとなると、次は必ず右手の位置とひじの高さを注意されます。さらに一歩踏み出そうと思ったら、先生はパッと離脱して、眉をしかめながらウェイトの移動に関する講義になります。次いで一歩目の足の上でのショルダーの回転、二歩目のサイドへの移行の仕方、ライズの具合を調整してナチュラルターンの三歩ができたところでレッスン終了です。次のレッスンでも同じ内容の講義をしてもらい、これを何度も繰り返して何年か後ようやく「自分のリードで踊ってもらう」ようになれました。
彼女のレッスンでコリオグラフィーについての内容になったことは一度もありません。どうしたらワンピースになれるのか、どうしたら女性に自分の踊りたい内容を伝えられるのか、女性は男性に何を求めているのか、という内容で終始します。なので自分のコリオグラフィーを見せたこともないです。
さて、愛媛で乗馬体験をして以来、次に乗るときにはもっと上手く乗りたいと思い、馬術に関する資料を漁りました。そのときにメモした内容がこちら。
「馬は単なる道具でない。個性もあり、馬特有の性格も持っている。こうした馬と、人間の心が一体になったとき、その信頼関係において"人馬一体と"いう、素晴らしい極意が開花するのである。人間の心と、馬の心が"一つ"になったとき、馬を馭す人間は、馬と一心同体になる。逆に、馬との信頼関係が崩れたら、馬は反抗するばかりでなく、馭すことが困難になり、馬に振り回され、馬の力は、人間が何人かかっても叶わない力を持っている。そうなると、馬術どころではなくなり、馬から敵愾心を抱かれ、無残に敗北することになる。戦場において、馬が自在に使えないことは、武門の恥であった。馬術は、生き物を相手にする武術であり、広い自然の中で、"人馬一体"となって、はじめてその威力を発揮する」(出典/西郷派大東 流馬術)
これは私の心にズシンと響く内容でした。いまだに敵愾心をパートナーに抱かれている私は「男女一体」には程遠いがしかし、必ずや……。
言葉が伝わるだけ
救われているところがあるはず(希望的観測)