おどりびよりロゴ

 

コラムダンスにおける脳・心・体の繋がり

第2話

2020/01/30

ダンスにおける脳・心・体の繋がり

第2話ダンスにおける脳・心・体の繋がり

2020/01/30

※第一回「Brain-Mind-Body Connection in Dancing…」の翻訳になります。

ボールルーム・ダンスはスポーツであり、芸術であり、そして、美しき体の使いこなしでもありますが、その中核を成しているのがダンサー自身です。ダンサーを外から見ていると空間の中で肉体が作り出す動きが見えますが、では、外から見えていない部分はどのくらいあるのでしょう? ダンサーの気持ちとダンス自体はどれほど深く結びついているのでしょう? 脳の中の集中度、リラックス度は?

そうした問いへの答えは自分を知る上で役に立ち、ダンスを通した自己表現を容易にするでしょう。脳は体の中心的な存在であり、思考、感情、態度、信念、記憶、想像力などの心の中の内容を明らかにする上で重要な役割を果たしています。脳と心の関係は非常に複雑、かつ、重要です。更に、私たちダンサーにとって、心と体の繋がりは非常に重要なのです。その連携は、考えていることを身体で自由に表現できることを意味しています。

私たちはひとり一人、考え方も感じ方も表現の仕方も違います。ダンサーの場合、「脳・心・体」に関するひとつ、あるいは複数の側面を関連付けることができます。
自分の動きを考えたり分析しがちの人は、脳との繋がりが強い人ですから、細かなアクションがとても得意でしょう。こうしたダンサーはルーティンを完璧なアラインメントで踊り、スウェイも正確、かつ、完璧なタイミングで行います。もし、動きの上でも技術の上でも正確なアクションで完璧に踊る人をみたなら、その人はとても強い脳との繋がりを使っていることが分かります。
典型例は、フェザー・ステップをパーフェクトなタイミング、美しい足捌き、それと計算されたスウェイ・アクションで踊る人です。

一方、より感情面との繋がりが深い場合、その人は、より心との関係が深いことを意味します。このタイプのダンサーはとても音楽性に富み、感情を表現することが出来ます。こうしたダンサーには、ダンスを通して観客を感動させ、踊り手と同じ感情を共有させる才能があります。
情熱的なタンゴから見える、溢れんばかりの官能的なエネルギー、パワー、音楽性、ダンスに対する生々しい愛に、思わず立ち上がり、そのパートナーと踊りたいと思うようなとき、あなたは、そのダンサーが心と強く結びついているので、感情的な側面をダンスで表現することができるのだと分かります。

さらに言えば、ボディは実にパワフルな楽器なのです。自分の体との強い絆があるダンサーは、なにがしかの素晴らしく印象的な動きを作り出すことが出来ます。ボディとの繋がりを持つことで、よりスピードのあるアクションを起こすことも、アクションやラインの広がりや、印象的な柔軟性などを、より大きく増幅することも出来ます。
もし、クイックステップを踊るカップルが、凄いスピードでピボットの連続を美しく踊り、そこから、飛び跳ねてフロアを横切り、最後にコーナーで深いコントラ・チェックを踊ったとしたら、あなたは、そのカップルが自分たちのボディと非常に調和のとれた関連性を持っていることが分かります。

自分が何と関連付けしているかを観察し、あまり関連付けしていない所に、より多くの注意を払うと良いでしょう。他の側面にも光が当てることで、より成熟した、総合的なダンサーになるでしょう。素晴らしいパフォーマンスをするには、「脳・心・体」が持つあらゆる側面と可能性を取り入れることが大切です。

体は考え方、感じ方、行動に対して反応し、最終的にはそれがダンスに現れます。ストレスを感じていたり、心配を抱えていたり、あるいは、怒りを感じている時など、そうしたものがボディに影響を与え、動きの中に現れてしまいます。
当然、見ている人にも影響します。何故なら、放出された負のエネルギーが見ている人の中で再現されるからです。それはミラー効果とも言います。素晴らしいパフォーマンスを見ていて、突然目に涙が溢れてくることがありますが、それは、ダンサーと同じ感情を追体験するからなのです。逆に、見ていて不快になったり、ストレスを感じたりするのは、ダンサーたちが緊張やストレスを感じながら動いているからです。

このように、考え方が違うと表現されるものも変わります。それによりフォーカスの仕方も確実に変わりますし、パフォーマンスに現れるオーラも変わります。
ボディにフォーカスするだけでダンスはスーパー・アスレチックにはなりますが、魂と感情が欠けて見えるでしょう。「脳・心・体」のコンビネーションを使うと、観客が白けることのない、魔法の様な踊りが可能になるでしょう。観客に感動を与えることも、楽しみながら自分たちを表現することも、同時に出来てしまうのです。


Anastasia Muravyeva
(翻訳:神元誠・久子)